ほんと高校時代は勉強するのが嫌で毎日勉強から逃げてました。
就職したら働くおじさんになるんだとイメージをもっていました。

高校2年の秋、学校の行事で機械系の科であった私は工場見学に
行くことになりました。実際工場の部品製造ラインの見学に
行きました。大企業で工場の規模は大きかったです。
工場の中に入ると大きな機械を使って細かい部品を作っている
様子であり立ちっぱなしで作業されていました。

当時私は郵便局で働いたことがあり、立ちながらの仕分けは大変
しかも私は働いている途中から腰が痛くなり、立ち仕事は向いていない
と実感していました。
次の2社目への訪問は、教師の知り合いでの工場見学
30人くらいの企業で鉄鋼関連の現場でした。奥まで行くと
皆さんの弁当が置いてあり、ここで食事をされるのだなと
そうなるとここから外出することがないのかと感じでした。
毎日工場と自宅の往復だと面白くない もう少し楽しい仕事が
したいと思い始めました。

高校2年後半になり就職活動開始。当時はモータスポーツのF-1に興味を
もっており、自動車メーカへの就職を第一条件として考えはじめました。
自動車メーカの就職先はいくつもあり、中でもF-1のエンジン開発
をしていた研究所を見つけました。

ただ当然英語のレベルが高くないと入れず、迷っていたところ
「本気で就職したければ毎日英語を教えるぞ!」と先生から私に
話してくれました。

ただ私は勉強はイヤで逃げまくっていたときだったため断念。
もう一度就職について県外就職をするのか県内就職をするか考える
ことになりました。
就職活動 3年1学期
工業高校に進学して3年の1学期です。
就職について具体的にどこの会社を受けるか探すことになりました。
前回の記事どおり、近くの工場での往復だと毎日が面白くな
もう少し自分に変化が欲しかったときでした。

やはり時自動車が好きで日本を代表する自動車会社に就職すると
決意していました。
ただ当時の進路指導から自動車会社が設立している学校があると聞き
申し込もうとしました。申し込む前に友達に相談したらその友達も
同じところを受ける予定であることが分かりました。

さすがに友達とバッティングしてまで就職しなくてもと思い別のところを
探すことになりました。
当時別の友達がIT会社にこだわっていたこともあり、私も興味をもちました。
どうもITの運用の仕事は会話をしながら進めていく仕事であることが
分かりました。私は会話できる方が面白いとIT企業に絞ることになりました。
全国規模のIT企業であったため試験、面接は大阪で実施されることになり
私達の学校からは私を含め推薦で2名受けることになりました。
私と一緒に受ける彼は私より勉強は良くでき最悪は私が落ちるのだと
覚悟していました。

大阪の会場に到着 ホテルの会場に集められ一般常識の英語、数学の
試験を開始。当時の私は恐らく5割もできない感じであーダメだと
思ってました。ただその後の面接では部活動のことを質問され
大会で優勝したことをスラスラ話すことができ、私自身、面接は
100点と思っていました。

翌日学校に戻り、他の方は早くて面接の数日後に合格通知がされ
私の通知は1週間、2週間後も通知なし。
あー落ちたかもと思っていましたが3週間にもなれば恐らく合格かもと
感じはじめました。
4週間後にやっと通知がきました。合格でした。クラスで一番最後の
合格通知でした。

俺は働くのだとそのとき改めて就職に対して再認識しました。
まだ当時は内定になった喜びで働くと言う大変さを感じてなく、相変わらず
自動車会社へ就職する友達と毎日ゲームを楽しんでいました。
まとめ
家が貧乏だったのも影響して、工業高校へ行きました。
このころは朝新聞配達をして学校で寝てという感じで勉強は全く
やる気なかったですね。
モータースポーツのF-1を受けて当時は学費は払わなくて給料が貰える
自動車メーカの高専、専門学校に入ろうと考えていましたね。
当時バブルが崩壊していたが求人はかなりありました。
今考えるともっと勉強しておけば良かったと後悔しています。
ただ結果的になんとかIT会社で生き抜くことができました。


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